R(元愛内里菜、垣内りか)のプロフィール
名前:R(2018~)
改名前の名前:愛内里菜(2000~2010)、垣内りか(2015~2018)
本名:垣内 里佳子
出身地:大阪
出身校:帝塚山高校
R(愛内里菜、垣内りか)のプロフィール詳細
2000年から2010年まで、「愛内里菜」としてアーティスト活動を行なう
青山剛昌原作の人気アニメ名探偵コナンのテーマ曲
「恋はスリル、ショック、サスペンス」
で売れっ子アーティストの仲間入りを確実とする
シングルでは1位を獲得したことがないが
アルバムでは2ndと3ndの2枚が連続して1位を獲得
発表する曲もコンスタントに売れ続け
いわゆる売れっ子アーティストの一人だった
年末の風物詩であるNHK紅白歌合戦に出演するなど
精力的に活動していたが、2010年12月31日を最後に音楽業界を引退
引退後はドッグリフレクソロジーの資格を取得
そのきっかけは愛犬であるパインちゃんの病気発症だった
2012年10月1日にはドッグブランド「BonBon Copine」
を立ち上げプロデューサーとして実業家の道へ
2015年 アーティスト活動を再開
アーティスト名を「垣内りか」に変えてのスタートだった
2018年 2度目の改名、新たなアーティスト名は「R」
作詞にとどまらずライブ活動や配信もスタートした
R(元愛内里菜、垣内りか)、wikiから抜粋した詳細
甲高く透き通った声[2]、、高音で良く通る声と言われている一方で[3]、低音域の表現力もある[4]、
GIZA歌手の中では、音楽番組に出演する機会が多かった。
主な出演番組は『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)、『ポップジャム』『MUSIC JAPAN』(NHK総合)、
『COUNT DOWN TV』『うたばん』(TBS系)、『ミュージックフェア21』『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)、などである。
いわゆる大阪人(現在も関西に在住)であるが、同じ大阪(関西)出身の芸能人との共演やトークする機会は少ない。
GIZA studioが開催した1999年の『SUPER STARLIGHT CONTEST』で所属が決定した。
ジャンルはJ-POP。
当初、バンド形式のボーカルとしてデビューする計画があったそうだが、結局ソロでデビューすることになった。
途中からセルフプロデュースを中心に活動するようになる。
デビュー当初はトランス系やクラブ・ダンス系の曲が多かったが、次第にハードロック調の作品が中心となった。
作曲は、大野愛果、徳永暁人、川島だりあ、輝門など、編曲は尾城九龍、徳永暁人、corin.などが中心である。
バックコーラスはほとんどの曲において、元Mi-keの宇徳敬子をはじめとするビーイング系アーティストが務めているが、
愛内が自らバックコーラスを務めることもある。
また、ライブではバックバンド"LOVE♠MOTION"を携える。
多くの他のGIZA歌手と同様全てのオリジナル曲の歌詞を自身で書いているほか、衣装選択やライブの舞台設定、
サウンドの方向性などあらゆる面で愛内主体による作品づくりがなされ、その作品作りには一貫した姿勢を見ることができる。
シングルのカップリング曲の多くが花言葉や色に基づいて描かれていたり、
アルバムは互いに呼応しあうタイトル曲とエンド曲が中心となって描かれる、
といったものであり、セルフプロデュース色を濃く反映している。
またデビュー前はギャル系ファッション雑誌「Cawaii!」の読者モデルだったことがある。
音楽=商売としかみれない人たち
日本の音楽業界はアーティストよりレコード会社が中心
あぁ、愛内里菜さんってビーイングだったんですね
音楽業界ではエイベックスと同じく
本物志向の人からはゴキブリのように嫌われるレコード会社です。
なぜなら、
イメージ戦略が先で、アーティストの意向があっても
強制的に変えさせるというやり方で君臨してきた会社だからです。
例えば
- メタル系バンドをソフトロックに変えさせる
- ハードで重い歌詞をPOPで軽い歌詞に書き換えさせる
- 芸術性を捨てさせられられ、言うことを聞かなければクビ
- 言うことを聞いても売れなければクビ
はっきりいうと、この2社だけでなく日本の音楽業界は多くがこのやり方です。
アーティストたちの悲痛な叫び
引退の”真相”と復帰について語った垣内りか
ファーストアルバム『Be Happy』がオリコンランキング3位を記録、
2003年にNHK紅白歌合戦出場も果たしながら、甲状腺の病気を患い、
2010年に惜しまれつつ引退した歌姫・愛内里菜。
そんな彼女が、垣内りか(35才)としてドッグブランドを立ち上げ、昨年9月に歌手として復帰した。
引退の理由、そして復帰について本人に話を聞いた。
――順調な歌手生活を送っていたのに、なぜ引退することに?
垣内:引退する1年半くらい前から、ずっと悩んでいました。
歌詞を書いてメッセージを発信する立場という中で、だんだん愛内里菜を嘘で塗り固めていく、
作っていくのが、自分の中で葛藤になっていたんです。
声が出ないのに出るふりをしたり、レコーディングでは期限があるから
納得できない歌をリリースする。
でも取材では「これは最高です」とコメントする。
いろんなところで嘘をつかなくちゃいけない状態になっていました。
でも、そんなやりかたで、愛内里菜を続けている意味があるのかなって。
そういう意味でリセットする時間を作りたかったんです。
先のことは、まだ何も考えていなかったんですけど。
過呼吸も持っていたので、しょっちゅう病院に運ばれていたんです。
これじゃあ歌手の前に、人として潰れちゃうなと思ったので、
自分自身を見つめ直す時間が何よりも必要だと思いまして。
――休止という選択肢もあったのに、引退を選んだのはなぜですか?
垣内:活動休止にするのか、引退にするのか悩みました。
矛盾してるのかもしれないけど、ライブが一番の楽しみで、歌いがいになっていて。
だから、待ってくれる人がいると思うと、そこに引っ張られて、
自分を歌から切り離せないんじゃないかなって。
休止にしてしまうと、本当は歌いたいし、体調が良ければライブだってしたいし、
待ち望んでくれている愛内里菜になりたいし。
後ろ髪がひかれすぎて、休む意味がないというか。
だから一度、まっさらにならなきゃいけないと判断しました。
まとめ
アーティストは変えようとしている者も多い