「セバスティアン、国王の銅像を破壊しろ」 『イエス マイロード』
ども、管理人の閣下です
さて今日のテーマはこちら
セバスティアン 銅像 破壊
ポルトガルで起こった珍事
ポルトガル・リスボン(CNN)
ポルトガルの首都リスボンで、126年前に建造された国王の銅像にカメラを持った男がよじ上ろうとして
破壊してしまう出来事があった。
同国の歴史文化遺産管理当局は、国の歴史遺産が破壊された事件として立件する方針を明らかにした。
破壊されたのはリスボン市内のロシオ駅にあるセバスティアン国王の銅像。
地元警察によると、3日に24歳の男が自撮りをしようとカメラを手に銅像によじ上ろうとしたため、
重さで銅像が倒れて粉々になった。
現場から逃げようとした男は警察に取り押さえられた。
歴史文化遺産管理当局は、破壊された銅像を修復するか、元の場所に新しい銅像を建造することを検討している。
1890年に開業したロシオ駅は、欧州の駅の中でも特に歴史的重要性が高く、
旅行誌で世界の美しい駅14選に選ばれたこともある。
セバスティアン国王(在位1557~78年)はポルトガルの歴史に登場する伝説的な存在で、
24歳で戦死し、間もなくポルトガルはスペインに併合された。
ポルトガルには、セバスティアン国王がいつか朝霧の中から白馬に乗ってよみがえるという言い伝えがある。
YAHOOニュース(CNN)より
破壊されたセバスティアン国王像
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伝説の国王 セバスティアン
・セバスティアン1世(Sebastião I, 1554年1月20日 - 1578年8月4日)は、
ポルトガル王国アヴィス王朝の王(在位:1557年 - 1578年)。
「待望王」(o Desejado)と呼ばれる。
・祖父ジョアン3世には多くの男子がいたが、セバスティアンの父ジョアン・マヌエルも含めて全員に先立たれ、
セバスティアンは父ジョアンが没した18日後に誕生した。
広場に詰めかけた群衆に王子の誕生が知らされると、群衆は王子の誕生に歓喜し、祝福した。
フアナに男子が誕生しなければ、スペイン王フェリペ2世の王子ドン・カルロスに
ポルトガル王位が移る可能性があったためにセバスティアンの誕生は国民から望まれ、「待望王」と渾名された。
・度胸があり、冒険心に富んでいたことから、セバスティアンは「騎士王」とも渾名される。
・しかし、情緒不安定で虚栄心が強い性格の持ち主でもあり、他人の意見をほとんど聞き入れなかった。
・幼少期から戦争と宗教に異常とも言える興味を示していた。
・年を経るにつれて、セバスティアンの中では十字軍を実施する願望が強くなっていった。
・セバスティアンの軍隊は統制がとれておらず、規律に欠けていた。
1578年8月4日にアルカセル・キビールの戦いでポルトガル軍はイスラーム軍と交戦し、
ポルトガル史上最大の惨敗を喫した。
この戦いで敵のアブー・アブドゥッラー・ムハンマド2世と味方のアブー・マルワン・アブド・アル=マリク1世は共に戦死し、
セバスティアンも行方不明となったが、遺体は見つからなかった。
モロッコ遠征に要した戦費は歳入の半分に達し、国家は多大な損失を被った。
・24歳の若さで死ぬまで独身で王妃候補者をことごとく退けて来たため、嫡子はいなかった。
このためポルトガル国政は混乱し、枢機卿で摂政を務めていたエンリケ1世が聖職のままに王位に就くが、
世俗に戻り婚姻することをスペイン王(ハプスブルク家)の影響下にある法王庁に禁止されたため、
またも後継者を決めることができないまま1580年に死去し、
その後ポルトガルはスペインのフェリペ2世に支配され同君連合として、隣国の支配下に置かれることになる。
あれっ、もしかしてとんでもないダメ国王
だったんじゃないんですか?
少なくとも私はこんな国王のもとにいたくないですけどね。
まとめ
・セバスティアン国王の銅像が破壊された
・セバスティアン国王は悪い意味で伝説の人だった
イエス、マイロード